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木津川河口的鐵甲軍艦

世界首隻大型「鐵甲艦」
木津川河口的鐵甲軍艦

信長的戰船隨著軍備的改革,發展成搭載大砲的鐵甲軍艦,將這種概念實踐的正是九鬼嘉隆。

◆信長命九鬼嘉隆建造鐵甲軍艦

 光秀攻略丹波的失敗,以及天正4年(1576)7月木津川河口大敗於毛利・雜賀水軍,令信長急於打下一場勝仗重建權威,縱合敗戰的經驗,要建造一艘讓敵人無法還擊的堅固軍艦,這就是世界上第一艘以鐵材覆蓋的鐵甲軍艦。熟知尾張津島及熱田之海的海上運輸的信長,從中找到靈感,由志摩水軍建造,信長命令較早時間歸降織田家的九鬼嘉隆負責。兩年後的天正6年6月,六艘鐵甲軍艦在鳥羽港下水。據『多聞院日記』載,鐵甲軍艦闊7間,長12~13間。另外,在伊勢的滝川一益亦建造了一艘大型軍艦,總數七艘軍艦在紀伊水道與織田水軍合流,從海上向雜賀・淡輪等支持本願寺的雜賀水軍據點攻擊,鐵甲軍艦持續向雜賀勢發射彈丸及大砲。

◆擊沉雜賀・毛利水軍

 天正6年7月17日,六艘鐵甲軍艦及大型軍艦停靠堺港補給武器彈藥及兵糧,如此巨大的艦船令堺地人目瞪口呆。信長在30日進入堺港,邀請近衛前久、細川信良、一色義道一同檢閱艦隊,同時吸引各地民眾雲集堺港一睹鐵甲軍艦的威容。信長自身亦在艦上各處觀賞探詢,並對進攻本願寺作出指示後歸洛。同年11月1日,七艘軍艦向大坂木津川河口進發,石山本願寺與守衛港口的雜賀・毛利水軍奮起迎擊,但培焙及鐵砲的攻擊在鐵甲軍艦面前都變得無力,九鬼水軍獲得壓倒性勝利。與毛利勢的連擕被切斷,深陷危機的本願寺顯如,加緊向信長領國北部及西部的加賀一向宗徒、攝津的荒木村重、播磨的別所長治請求援,繼續抵抗信長。

**信長構想的意念來自津島神社祭典




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