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石山本願寺開城

顯如光佐的對決打下終止符
石山本願寺開城

擁有深闊護城河、屹立在淀川河口山丘上的堅城・石山本願寺,門主顯如在同盟勢力相繼滅亡後,在朝廷的仲介下,向信長開城投降。

◆計策已盡的顯如光佐向朝廷求援

 元亀元年(1570)以來就向信長豎起反旗的石山本願寺,長年以來挑動各地勢力共同反抗信長,但長島一向一揆、越前真宗王國等各地布教地點逐一被信長平定,而背叛信長的松永久秀、荒木村重、別所長治都已被消滅,援助本願寺的毛利・雜賀水軍也被信長的鐵甲軍艦擊敗。石山本願寺的門主・本願寺顯如光佐盡可能地號召各地信徒反信長都告失敗,終於在天正8年(1580)透過身為正親町天皇側近的義兄・庭田重保,借朝廷的協助,欲與信長和解。

◆教如光壽繼續抗戰,最終開城

 另一方面,信長的大坂包圍網之中,陸續出現背叛者而受拖累,不能專心對付毛利氏,因此希望盡早與石山本願寺決戰。天正8年3月17日朝廷調解兩家的和議:不能加害在石山本願寺籠城的人、織田軍從加賀2郡撤兵、在7月盂蘭前石山本願寺開城,信長接受朝廷的和議方案。

 顯如退出石山本願寺後,本打算投靠毛利家,但毛利家並不承認和解方案,結果顯如在4月9日移到雜賀的鷺森御坊。同時,繼任本願寺門主的光佐之子教如光壽,決定留守本願寺,堅決不降,繼續抗戰。可是各方都抱觀望態度而沒有支援本願寺,最後教如在8月2日開城投降。


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