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與武田勝賴的對決

向家康東面出陣
與武田勝賴的對決

在東三河與天龍川東側,家康與勝賴展開決戰,攻陷高天神城後,勝賴再向東三河挺進,包圍長篠城。

◆遠江高天神城與長篠城,徳川・織田・武田三家的合戰

 天正2年(1574)5月,身在奈良多聞山城的信長,收到盟友徳川家康的急報,遠江高天神城被武田勝賴包圍。

 繼承武田信玄的勝賴,在元亀4年(1573)4月信玄死後以來,一直與家康發生衝突。信玄病逝於信濃伊那後,家康認為機會來臨,積極進侵東遠江。另一方面,勝賴攻下家康盟友信長的領國・東美濃的明智城。信長為應付武田軍對岐阜的威脅,在明智城之西建築小里城及高野城,以池田恆興及河尻秀隆駐守。為奪回長篠城及阻止家康東進,勝賴轉而走南路向家康進攻。當知道三河有危機,家康立刻撤兵回西三河。之後勝賴又再調整軍勢,轉而向遠江進兵,包圍高天神城。遠江東面要衝高天神城一旦失去,家康居城・浜松城將會非常危險。

◆兵勢的進退

 收到急報的信長,即日動身離開奈良,在6月14日返回岐阜,19日進入三河吉田城,但進軍到今切之渡後便收到高天神城陷落的消息。信長認為已完成對家康派出援軍的承諾,便領兵折返。無論家康或勝賴都對信長本隊退卻歸陣的消息感到震驚,其實信長憑著勝賴輕易攻陷高天神城作出判斷,而且對新繼位的勝賴的戰法・兵勢・裝備等毫無認知,認為需要出動全力總攻才有勝算,加上恐防領國後方的不穩局勢,信長經過一番苦惱思慮後決定先要平定長島一向一揆

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