忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

反抗信長的筆頭家老

林秀貞  はやし  ひでさだ

生年不詳
天正八年(一五八零)十月十五日沒

◆信長少年期之宿老,尾張沖城主,那古野城代

又名新五郎、佐渡守,名諱「通勝」。父親名字不詳,養父是林九郎勝隆。秀貞作為信長的宿老筆頭,不過對織田家當主信長的言行感到不滿,轉而支持其弟信勝(信行)。弘冶二年(一五五六),與柴田勝家共同起兵對抗信長,在稻生大敗於信長手下,被赦免後沒有動搖其老臣的地位。天文二十三年(一五五四)十一月,信長移往清洲城,秀貞成為那古野城代。永祿十一年(一五六八)跟隨信長上洛。天正元年(一五七三),將軍足利義昭抗爭之時,秀貞負責起草和平起請文,並與佐久間信盛、柴田勝家作為織田方代表簽署。上洛後的秀貞,不再身為武將,而是負責治政的行政官。織田軍團攻擊伊勢長島之時,秀貞跟隨嫡男信忠出陣,相等於軍監的身份。天正年間,秀貞的名字很少出現。在信長的安土城時代,家臣茶會聚會之際,秀貞仍是排在上位家臣的位置。天正七年一月二十五日,秀貞獲准參觀安土城天守閣。天正八年八月十七日,秀貞因為尾張時代的信長廢嫡問題遭譴責,受放逐處分。其後潛伏在京都,移居南部但馬後改名,不久後逝世。

拍手[0回]

PR

この記事にコメントする

お名前
タイトル
メール
URL
コメント
絵文字
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
パスワード

この記事へのトラックバック

この記事にトラックバックする

Facebook

Google+

Creative Commons

Creative Commons License

戦国安土城・織田信長記後藤又兵衛製作,以共享創意署名-非商業性-禁止衍生 3.0 香港 授權條款釋出。

フリーエリア 公告欄

プロフィール 版主介紹

HN:
後藤又兵衛 (Matabee Gotou)
年齢:
430
性別:
男性
誕生日:
1586/12/29
職業:
デザイナー、モデル会社仕事中(任職Model Agency的Designer)
趣味:
戦国、J-POP
自己紹介:
戦国の史事が興味深いの香港人(沉迷日本戰國的香港刀足輕)

忍者アナライズ

最新CM 留言

[11/15 DSLR-A900]
[10/16 政宗]
[10/16 政宗]
[02/28 名無し]
[01/07 SUESUE]

最新TB 引用

バーコード 流動裝置瀏覽

カウンター 人流計

Site Master