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擁護足利義昭

迎義昭於西岐阜的古剎 - 立政寺
擁護足利義昭

由和田惟政轉發的再度上洛要請,信長回應要求,將義昭迎來岐阜。

◆岐阜招待足利義昭的御座所
將稻葉山城改築成岐阜城、掌握尾張、美濃兩國、與近江淺井長政同盟後,信長以破竹之勢立於戰國間。永祿11年7月,足利義昭第二度發出上洛從軍要請書,以和田惟政◎為使者拜見信長,信長答應義昭的要求,決意出兵上洛。信長派重臣不破光治、村井貞勝、島田秀滿為答禮使者,與惟政一同回越前一乘谷答覆義昭。信長為確保義昭的上洛路,還親赴近江與淺井氏、六角氏交涉。而義昭則從一乘谷經越前疋田北國道,過小谷城進入岐阜。

◆信長與近江六角義賢交涉決裂
進入岐阜的義昭,獲信長安排入住西岐阜立政寺。立政寺是淨土宗西山派的古剎,是美濃屈指可數的大伽藍,所以位處中山道的立政寺具備條件充當義昭的御座所,亦是美濃中最近京都的地方。信長為確保上洛路,率先自岐阜出陣,同年8月7日軍隊從中山道及北國道合流之後進入佐和山城,與近江最大勢力六角義賢的使者進行 7日的會談,可是最後與六角氏談不合攏,信長上洛軍與六角義賢面臨全面對決。信長先返回岐阜,待德川家康率衆來援,共計約四至六萬的先鋒軍在9月7日出陣。當時信長才35歲,相比起六角義賢、細川澄之、三好長慶等百戰磨練的47歲,任誰人都看好三好勢、以及跟比叡、湖東宗教勢力結連的六角氏。9月8日,信長全軍在六角氏佐佐木觀音寺城旁的箕作山城集結,戰爭一觸即發。

◎和田惟政是足利義輝的御供衆(側近),以近江甲賀為本據點,是攝津守護。

 

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