忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

足利義昭的上洛要求

被時代作弄的將軍
足利義昭的上洛要求

作為室町將軍卻不能住在京都,由八代將軍足利義政以來,歷代將軍都過著流浪生活。

◆暗殺將軍足利義輝
在信長攻略美濃之際,中央政界的足利將軍家亦面臨大變。永祿8年(1565)5月19日,十三代將軍足利義輝被三好義重及松永久秀暗殺。將軍義輝之父義晴生於近江岡山城,而義輝就在播磨國赤松家長大,當時擁護將軍的細川高國,被細川晴元、三好元長追擊,高國帶著將軍逃往近江,建設偽幕府。在義輝與信長面談的永祿3年,當時義輝已經結束逃亡生活,返回京的室町御所,但義輝實際上是細川氏綱、三好長慶控制下的傀儡將軍。氏綱、長慶死後,義輝積極重振將軍聲威,與三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)對立,因而被殺。這個被殺將軍義輝之弟,就是室町幕府最後一位將軍足利義昭。

◆義秋向各地發出上洛要請書

將軍義輝被殺時,其弟義昭名為覺慶,在奈良興福寺一乘院出家。三好三人衆擁立義晴之甥足利義榮為第十四代將軍,義榮曾經一度入洛住在攝津富田,故被稱為富田公方。

永祿8年7月28日,覺慶得細川藤孝、朝倉義景之助逃出奈良,逃往近江甲賀郡投靠和田惟政,還俗改名義秋,決意入洛就任將軍。其後義秋遷往近江矢島,發信要求諸國大名出兵支持其上洛,當時在尾張小牧山城的信長亦收到義秋的要請書。但最後沒有得到任何大名答覆,義秋改名義昭,託庇於越前國朝倉家,等待復興將軍家。



拍手[0回]

PR

この記事にコメントする

お名前
タイトル
メール
URL
コメント
絵文字
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
パスワード

この記事へのトラックバック

この記事にトラックバックする

Facebook

Google+

Creative Commons

Creative Commons License

戦国安土城・織田信長記後藤又兵衛製作,以共享創意署名-非商業性-禁止衍生 3.0 香港 授權條款釋出。

フリーエリア 公告欄

プロフィール 版主介紹

HN:
後藤又兵衛 (Matabee Gotou)
年齢:
430
性別:
男性
誕生日:
1586/12/29
職業:
デザイナー、モデル会社仕事中(任職Model Agency的Designer)
趣味:
戦国、J-POP
自己紹介:
戦国の史事が興味深いの香港人(沉迷日本戰國的香港刀足輕)

忍者アナライズ

最新CM 留言

[11/15 DSLR-A900]
[10/16 政宗]
[10/16 政宗]
[02/28 名無し]
[01/07 SUESUE]

最新TB 引用

バーコード 流動裝置瀏覽

カウンター 人流計

Site Master