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畿內的平定與部將的配備

天下人信長的佈陣
畿內的平定與部將的配備

天正元年秋至天正3年春之間,信長忙於畿內支配體制的制定,頻繁往返京都與岐阜。

◆勝軍山城、坂本城、勝龍寺城、真木島城鞏固京都。
信長將畿內最大的反抗勢力朝倉、淺井氏消滅之後,即著手確立畿內的支配体制。將藏匿足利義昭的若江城的三好義繼消滅之後,將大和國多聞山城的松永久秀遷往信貴山城,以多聞山城作為大和的據點。京都北面,信長命明智光秀將靜原山城嚮應義昭的山本對馬守及一乘寺城的渡邊、磯貝兩家討滅,並將志賀之地賜予光秀,建築坂本城。至於作為志賀、坂本與京都連結成的要道山中越與白鳥越,在起點京東的要衝地勝軍山城交予兄長信廣作城主。京都西南面、山崎的勝龍寺城交予細川藤孝。在天正元年(1573)7月在志賀北方曾奮力反抗信長大型軍艦的木戶城及田中城,被攻陷後交予明智光秀管轄。

◆京都、堺港設代官
起初信長以朝山日乘作為與朝廷的聯絡人,但在天正元年7月起,以村井貞勝為京都所司代作為京都的管理人、及與朝廷的連繋。至於當時最大的交易港堺地,則配備熟知茶道、老練的松井友閑作代官。京都周邊的山城及大和交由真木島城的原田直政守護,攝津守護由伊丹城荒木村重就任。淺井氏滅亡後,舊淺井領地大半交給羽柴秀吉,秀吉廢棄小谷城,在今浜築新城,完成後以主君信長名字偏諱的「長」字將城命名為長浜城,加上丹羽長秀的佐和山城共為湖北、湖東要塞。

信長領內尚有長島一向一揆及石山本願寺在持續抵抗,鞏固了畿內、京都的支配体制後,便能無後顧地對付反抗勢力,實現天下布武。
 


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