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十七條詰問狀與火燒上京

向將軍義昭施加軍事壓力
十七條詰問狀與火燒上京

火燒比叡山坂本及湖東,對義昭的反信長行動顯示出警告作用。

十七條詰問狀
信長大概在元亀3年(1572)的秋冬之間,就發現了將軍義昭在暗地裏糾結反抗勢力對抗自己,於是信長向義昭發出十七條詰問狀,詰問狀裏質問「公方殿下(將軍)是否想要謀叛」,罪名包括未經信長許可下私自課稅、糾集一批牢人在身邊陰謀不軌。當時的義昭結連了武田信玄、朝倉義景、本願寺等勢力,認為「信長終會沒落敗亡」,絲毫沒有理會這條詰問狀。直到火燒比叡山坂本、大型船的建造,毫無危機感的義昭尚未察覺到苦難的序章正從他身上展開。

信長為了展示實力,在元亀4年3月29日,率領大軍上洛,以東山知恩院為宿所,軍勢屯駐在白川粟田口、祇園、清水、六波羅、鳥羽、竹田,在京洛由東至南佈好陣勢,大軍在4月3日將洛外沒有豎起禁制的寺社焚毀,然後信長通告義昭,下一步將在上京與中京放火。上京是在義昭的支配之下,在上京放火,就是通告世人,義昭再無在上京行使權力的能力。

火燒上京
翌日4月4日,信長下令火燒上京,在這場騷亂中明智光秀及細川藤孝的意向都令人注目,二人本是義昭身邊的幕臣,但這時兩人對於義昭這位目光狹隘、不自量力的主君都沒有絲毫眷戀和憐憫。上京一帶火燒後盡成灰燼,這次事件象徵著信長與義昭的對立已然不可避免。
 

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